vol.08

クリエイター
やばいちゃんさん

「まぬけ」という価値観に、今を生きるヒントがあるのでは?
今回8回目の連載でお話を聞くのは、「おしゅし」の作者でありクリエイターの「やばいちゃん」さん。“寿司キャラの先駆け”である「おしゅし」の生まれた経緯から、その世界観について、そして「まぬけ」がもつ意味について、お聞きしました。

やばいちゃん(YBI)

(株)YETI VACATIONS代表。2013年より寿司のキャラクター「おしゅし」の執筆をはじめ、絵画、漫画、立体造形、キャラクターデザイン・開発、LINEスタンプ制作など表現方法を限定せず発信している。 KADOKAWAより「おしゅしだよ」「おしゅしだよ どうもね」「おしゅしだよ いきゅよ」を出版。作品を通して「誰かの孤独に寄り添う」ことを基本理念として活動している。

YBI @inukumaracco
おしゅし @oshushidayo

よく食べていたお寿司を キャラクターに

何となく身近にいるような気がする「おしゅし」ですが、もう11年目なんですね。まずはあらためて、「おしゅし」が誕生したきっかけを教えていただけますか?

やばいちゃんセンパイ
「おしゅし」は、私の子どもと同い年なんです。出産でエネルギーを使い果たして、ご飯を食べたことすら忘れてしまうくらい頭がボケてしまって。母から「4コマ漫画は起承転結を考えるから、脳トレになるらしいよ」とすすめられて、漫画を描き始めたのがきっかけです。

ユニークなお母様ですね! でもなんで「寿司」をテーマに?

やばいちゃんセンパイ
私が妊娠した当時、生魚は今ほどだめとはされていなくて、しょっちゅう回転寿司に行っていたんです。だから自然と、メインキャラはお寿司にしようって。「ネタが半分剥がれたまま回っていて、ちょっとかわいそうだな」とか、日頃から回転寿司に通う中で思っていたことが、ネタになっています。

メインキャラであるマグロの寿司「おしゅし」は、どこか間の抜けた表情が愛らしいです。

やばいちゃんセンパイ
敵意とか悪意のない顔がいいなと思って、「えびす顔」にいきつきました。寿司をキャラにするなら足を生やすしかない! って思って、米粒みたいな四つ足を生やして(笑)。当初から、あまりかっちり描く感じではなかったですね。

当日は立体作品の「おしゅし」たちも同席いただきました

「おしゅし」はTwitter(現X)への投稿を機に、どんどん話題になっていきます。

やばいちゃんセンパイ
家事や子育ての合間に、わら半紙に描いた4コマ漫画を携帯電話のカメラで撮って、Twitterに毎日投稿したのが始まりです。最初は身内向けでしたね。周りの友だちにも創作活動をして作品を投稿している人が多かったので、みんなと同じように毎日投稿し続けていたら、友だちづてに少しずつ広がっていきました。当時はTwitter発のキャラがあまりいなかったのも大きいと思います。

「おや、おしゅしが人気だぞ」と気付いたきっかけはありますか。

やばいちゃんセンパイ
ある時、中野ブロードウェイの中にある「中野ロープウェイ」で、「おしゅし」のステッカーを無料配布する機会があったんです。100枚くらいあって、ゆっくり時間をかけて配ってもらえたらと思っていたら、なんと1日でなくなってしまって。身内以外にも見てくれている人がいるんだ、と初めて気づきましたね。

手書きのゆるいマンガ「おしゅし」がTwitter(現X)上に初登場したポスト

その後、初の書籍『おしゅしだよ』(KADOKAWA/エンターブレイン)を出版したり、新宿眼科画廊で「おしゅし」をテーマにした初の個展「大おしゅし展」をやったりと、活動にはずみがつきました。展示にも、行列ができるくらいたくさんの人が来てくださいました。

2016年に新宿眼科画廊で開催された「大おしゅし展」より(提供:新宿眼科画廊)

すしたちの世界が 身近に存在するかもしれない

近作の「てまりガーディアン、みょうが」です

小さい頃から、作る道で生きようという思いがあったんですか?

やばいちゃんセンパイ
はい。物心ついた頃からお絵かきや粘土いじりばかりしていて、それ以外のことにはあまり興味が持てませんでした。「作ること」から外れることは考えていませんでしたね。高校卒業後は、人間の身体に近いものを作りたいと思って、ジュエリーの専門学校に行って。ジュエリーと言っても、いわゆる指輪とかじゃなくて、コンテンポラリージュエリーを学べる学校でした。体に近い現代美術のような感じで、装身具であれば何でもあり。立体の楽しさを知ったのも、その時です。

自由な表現を身に着けていかれたんですね。やばいちゃんは「誰かの孤独に寄り添う」を制作テーマにされていますが、これはご自身の体験がきっかけになっているんですか?

やばいちゃんセンパイ
私自身ずっと、誰かの創作物に助けられながら生きてきたので、ものを作るのならば自分もそうあれたらなあ、と思ってきました。それも、「あなたを一人にさせない」とか使命感がある感じじゃなくて、「いるよー」みたいなゆるい感じ。

お寿司はもともと、人の生活に近いもの。キャラクターにしたことで「お寿司がこんなだったら可愛いし癒やされる」というより、「もしかしたらこいつらが身近にいるかもしれないな……」と想像する生活の楽しさだったり、安堵感とか嬉しさを感じてもらえたらな、と。もし自分が生きてる世の中で、こうした世界が繰り広げられているんだったら、あまり寂しくないですよね。

人間が気づいていないだけで、もしかしたらお寿司同士の世界があるかもしれない……。

やばいちゃんセンパイ
やつらも人間と同じように、やつらなりの世知辛さがあるかもしれません。ただ優しいだけじゃなく、毒っ気やシュールさも大事にしています。私の好きな『バケツでごはん』(玖保キリコ)という漫画では、動物園に出勤する動物たちの悲喜こもごもが描かれています。

そういう世界があると思うと、孤独が薄れる感じがしますね。

やばいちゃんセンパイ
私自身、お寿司同士の関係だったり、お寿司と万物との関係。それと人と寿司の関係や、人と人との関係は地続きだと思っていて……、つまり、社会は人だろうと寿司だろうとあらゆる場所に存在し、みんな悩みややるせなさ、世知辛さがある、というのが、私にとっては癒やしなんです。

間や抜けが、 他者が関わる余地を生み出す

グッズ展開だけでなく、ポケモンやプロレス、ミイラ展など意外性のあるコラボレーションで「おしゅし」の世界が広がっていく感じが楽しいです。

やばいちゃんセンパイ
グッズに関しては「言われたらなんでも書く」を基本にしています。守ってほしいと伝えるのは「食べ物を絶対粗末にしない」ということだけ。あとは面白ければ何でもありですね。

こうした展開を振り返って、発見したことはありますか?

やばいちゃんセンパイ
「この世にいる感」が、より強くなったと思いますね。ぬいぐるみは以前からありましたけど、彫刻みたいな立体作品を始めた理由の一つも、飾って終わりじゃなくて、「存在がより身近に、生活に馴染んでほしい」と思ったからです。

SHUTLで行われた「FROM THE SNOW MOUNTAIN」展示風景 撮影:山根かおり

そこには重量があることが大事だと思っていて。例えば、猫って重いじゃないですか。うちにも子どもがいるのですが、子どもも重い。それが存在感なんだなと思っていて。立体作品も重量や大きさを意識しています。それが「いるな」っていう安心感とか嬉しさに通ずると思うんです。お金持ちのお家にある陶器の犬の置物とかも、そうなんじゃないですかね。何となくのイメージですけど、好きなんですよ(笑)。

みんなの考える「おしゅし」が、受け取り手の中に息づいていく。世界観の設定だったり、「おしゅし」自体がもつ「間」や「抜け」が、いろんな人の心に入り込む余地を生み出しているのでしょうか。

やばいちゃんセンパイ
世に出した後は、皆さん自由に接してくださいね、というスタンスです。説明が難しいんですが……、私は存在と環境との境界がない方というか、いろんな物事に対して「関連がない」とあまり思ってないです。それぞれの社会の話もそうですが、寿司も人間も、存在として対等で、居るレイヤーはあんまり変わらない。あるものもないものも対等といいますか。

「おしゅし」もそういう存在なので、常に自由ですよ。彼らのぬいぐるみは、名前をつけてその子だけの性格をつける人もいれば、ただ集めている人もいたりして、皆さん購入された後にそれぞれの存在感で楽しんでいるのがいいなあと思いますね。飽きたら飽きたで、その時の自分の気持ちを大切にして、飽きて欲しいです(笑)。世界の全てはそれでいいじゃん、と思います。

人間同士の関係も、そうやって距離感を大事にしていけば過ごしやすくなりそうですね。

やばいちゃんセンパイ
「優しくする」のはとても難しいですよね。私自身、何が優しさなのかは未だにわかりません。周りと自分の延長線上に、それこそどんな「間」や「抜け」を持ちたいか、自分がどうあるのが自然で嬉しいかを想像して突き詰めていけば、少し楽になるかもしれません。

生活を愛することから、 見えてくるもの

この企画では「まぬけ」の意味を色々と考えています。この言葉にどんなイメージをお持ちですか?

やばいちゃんセンパイ
「あほ」とか「まぬけ」って好きです。平和な感じですよね。私もおそらく「まぬけ」側の人間。自分が完璧じゃないからこそ、完璧じゃない人の方が共感できたりする。「こうあるべき」と固く思わずに「まあ、いっか」ってやわらかく思えた方が、なんとなく平和に過ごせそうですよね。私の作品を買ってくれる人も、そういうことを理解してくださっていると思います。「こういうものが家にあるのが可笑しいし、いいよねー」と思えるような心の余白を持っている人に、気持ちの近さを感じますね。

やばいちゃんの生み出すキャラクターにも、愛らしい抜け感を感じます。

やばいちゃんセンパイ
世の中がキャラクターにそういうものを求めている気がしますね。「おしゅし」のコンテンツも、かわいそうな目に遭っていると反響が大きいんです。みんな、心のどこかにまぬけさや可愛らしさを求めているのかな、と思います。

今後、挑戦してみたいことや思い描いていることはありますか?

やばいちゃんセンパイ
10年「おしゅし」を続けてきたので、そろそろ変なことをしてもゆるされるだろうと、最近は変化球めいた展示にも挑戦しています。それでも皆さん、それぞれの受け取り方で楽しんでくださっているので、まだまだやっていけるなと思っています。これまで作品の中に色々な伏線を張ってきたんですが、それを回収したりもしています。反応してくださる方がいると、「しめしめ」と(笑)。

「おしゅし」がどうなるのか、楽しみです。最後に「センパイ」として、これからの行く末に頭を悩ます「後輩」へ、メッセージをいただけますか。

やばいちゃんセンパイ
こんな窮屈な時代こそ、生活を愛することが大事だと思います。スマホで情報を得るというのは、強制的に人間に外付けハードをつけられているような状態。スマホと自分はいったん切り離して、もっと生活と自分とを地続きにしていかないとなあと、いつも自分に言い聞かせています……。だけど「愉快に生活していくために必要なもの」を突き詰めていけば、豊かに生きていけるヒントがたくさん潜んでいると思っています。目の前にあるものを対等に、親身に思えたら、もしかしたらお寿司だって喋るかもしれませんしね!

「おしゅし」と、てまりガーディアンたち

間貫けのハコ

間があって、貫けがある。間貫けのハコへ、おかえりなさい。