vol.05
フォトグラファーの佐藤健寿さんにかかる枕詞があるとしたら、それは「奇妙」だろう。
東南アジアの新興宗教、アメリカのUFO基地・エリア51、太平洋の呪われた遺跡、チベットのイエティ、インドのサイババ……。
世界120カ国以上を旅し、奇妙だと思えるものごと、建築、人物、文化を写真におさめてきた佐藤さん。
そんな佐藤さんは、ものにどんな「まとぬけ」を感じるのだろうか?
佐藤 健寿 さとうけんじ
武蔵野美術大学卒。世界各地の“奇妙なもの”を対象に、博物学的・美学的視点から撮影。写真集『奇界遺産』シリーズ(エクスナレッジ)ほか著書多数、写真展は過去東京epsite、大阪なんばパークス、ライカギャラリー東京/京都などで開催。「佐藤健寿展奇界/世界」が全国美術館を巡回中。現在米子市美術館で開催中(2024年5月26日まで)。
https://kikai.org/
「まぬけ」や「奇妙」の奥にあるもの
20年にわたり、世界中の奇妙に見える文化や建築、奇景、風俗を持つ人々などをカメラにおさめてきた佐藤さん。その記録は写真集『奇界遺産』(エクスナレッジ)としてシリーズ化もされ、ここまでインターネットが発展した現代においても、見る人に多くの驚きを与え、古代から人間が築いてきた文化への畏怖と好奇心をかきたててくれる。
多くの奇妙な価値観に触れてきた佐藤さんなら、どのような視点で「まぬけもの」を語ってくれるだろうか。念願かなって、お話を伺える機会を得た。
「奇妙もそうなんですが、このサイトで使われているまぬけという言葉もていねいに説明しないとマイナスイメージを持たれてしまいますよね。こちらの思いや説明を見ていただけたら、リスペクトした上で奇妙という言葉を使っているのがわかってもらえるとは思うんです。でも、ぱっと見ただけでは、"人が一生懸命作ったものをまぬけとか奇妙っていうのはどうなの?"ってなってしまう。そこは、本当に発信する側としては気をつけなければいけないことで、今回の"まぬけもの"も僕にとっては、シュールだけど愛すべきもの、という視点で選んできました」
デスク脇にある、愛すべきもの
「撮影に出かけた先では荷物になるので、あまり買い物はしないんですよ」と言いながらも、佐藤さんがつい自分のお土産として買ったものがこのふたつ。
赤い頭巾のようなものをかぶった顔の置物は、ミャンマーの「ナッ」。
ナッとは精霊のことで、日本ではナッ神ともいわれるらしい。
「ミャンマーは今でこそ仏教国ですが、日本における仏教と神道の関係のようにアニミズムに近い精霊信仰がいまだに残ってるんですよ。ナッ神は、そういう精霊のなかのひとつなんです」
おそらく佐藤さんが旅をしてきた世界中に、アニミズム、精霊信仰はあり、それを模した置物はあるだろうが、どうしてこのナッ神を選んだのだろう。
「ナッ神信仰は、現世利益の考えが強いんです。お祈りや善行をきちんとしていたら、来世で良い形で生まれ変われるという思想ではなく、この世でお賽銭をたくさん収めると金持ちになれるとか、割と現実的なんです。ミャンマーのポッパ山がナッ神の聖地なんですが、参道の手すりや階段、柱の上に置かれたナッ神にもお賽銭としてのお札がペタペタ貼られている。信仰する人たちの中ではいたって普通のことなんですけど、精霊にお金を張りつけるという発想が面白いといいますか。このナッ神はピッタインダウンと呼ばれる精霊で、簡単にいえば七転び八起き的な縁起物ですね」
続いて見せてくれたのが、仮面ライダーやウルトラマンに出てくる怪人のような置物。
「アルゼンチンにウシュアイアという世界最南端の町があるんです。その先住民であるヤマナ族の置物です。彼らが特別な時にボディペイントをするんですが、そのペイントがとてもユニークで異世界感があります。彼らは不思議な民族で、当然ものすごく寒いところに住んでいたのに、服を着る習慣がなかったそうなんですよ」
夏でも最高気温15℃程度、冬の平均気温は5℃。風速は60m/sを超える超強風が吹く土地だというのに、裸族とは……。
なぜ裸なのか。のちに調べてみると、雨風が吹き荒れる気候風土において、濡れた衣服は低体温を助長させ、裸で火にあたるほうが体温が素早くあがることを知っていたのだとか。服を着ない選択をし、鯨など動物の油を厚く塗り保温したのだから、人が生きる知見というのはすごい。
「19世紀にイギリス人の船がやってきて彼らは初めて外の世界の人々と遭遇した。イギリス人はヤマナ族と交流するために服や食料を与えるんですが、同時に疫病をもたらしてしまった。その疫病に免疫がなかったヤマナ族はどんどん数が減っていったんですよね」
ゆるさの後ろにある民族の宗教観や歴史
続いて、ブルガリアの妖精「クケリ」の人形。
「日本で言うと、なまはげに近いのかな。毎年2月頃に、羊や山羊の毛皮を着てけむくじゃらの格好で、村々を歩き回って悪霊を払うクケリというイベントがあります。この人形はその会場で手作りのお土産として売っていて。あまりにもかわいかったから4体ぐらい買ってしまいました」
ぱっと見るとかわいらしい、ゆるい造作であり、楽しい祭りに見えるが、その背景を教えてもらうと、こちらも思わず真顔になった。
「ブルガリアにはもともと自然・精霊信仰があったんですけど、後にキリスト教が入ってきてこういうお祭りはなくなっていくんですよ。そのあと、20世紀半ばには旧ソ連の衛星国となって社会主義下で宗教が禁止されて、片っ端から伝統行事を禁止していくんです。クケリもその対象となって一度は絶滅しかけたんですけど、ブルガリアの田舎の村ではひっそりと続いていた。田舎すぎてソ連の兵士たちが辿り着いてなかったらしいんですよ。それであまり影響を受けずにずっと昔ながらの祭りを続けていたと。ソ連崩壊後は自分たちの本来の文化を取り戻すという流れが生まれ、クケリもだんだんブルガリア全体で復活して今や国民的な祭りになったそうなんですが、歴史をたどると実は彼らの文化的なアイデンティティの根幹にある存在なんです」
ゆるい造作のお土産の置物にかくされた、民族の宗教観や歴史。
佐藤さんは何度旅を繰り返してもそうしたことを忘れないよう、初心に帰るようにデスクのそばに置いているという。
宇宙への憧れ 未知との出会い
佐藤さんがフォトグラファーとして注目を集めるようになったのが、アメリカのエリア51で撮影した写真だった。
「サンフランシスコで写真の勉強をしていたとき、課題でアメリカのどこか1つの州を選んで撮影するというものがあったんです。自分が子どものころ、ノストラダムスの大予言やUFOが流行っていて、自分もそうしたことに興味を持っていました。そこで、ネバダ州のアメリカ空軍の施設「エリア51」に撮影に行くことにしたんですよ。UFOやエイリアンの研究を行っていると噂があった場所でしたし、西部開拓時代にゴールドラッシュで栄えたからそうした廃墟もたくさんあって、おもしろいものが撮れるかなと思って」
今のようなSNSもないときだ。
エリア51で撮影した写真を共有サイトのFlickrにアップしていたところ、欧米の研究者から使わせてほしいと連絡が来て、英語版Wikipediaに掲載され、どんどん拡散されていった。
そんなフォトグラファー・佐藤健寿の始まりの地ともいえる、エリア51。
そこから北へ45kmほどの位置に「レイチェル」という小さな集落があり、その名物土産屋・モーテル「リトル・エイリ・イン」の前には、木彫りの宇宙人像が置いてある。
「リトル・エイリ・インの雑然とした棚の上に、この宇宙人像の置物が転がっていて。売り物ではないのかな?と思って、一応、店の女性に聞いたんですよ。そうしたら、いや売り物ではないけど、欲しければ150ドルで売るよ、と言われて買ってきました」
宇宙人が手にした板に書かれている言葉は「WELCOME EARTHLINGS」
(ようこそ地球人)。
少年少女時代に雑誌「ムー」を愛読した世代にとっては、実はレイチェルの街はじめ、エリア51の地下にはたくさん宇宙人が住んでいて、我々こそがエイリアンなのかもしれない……。
取材前、佐藤さんと漫画家・諸星大二郎先生の共著『世界伝奇行 中国・西遊妖猿伝編 限定版』を読んでいるとこんな描写があった。
奇妙な世界を描く巨匠、諸星大二郎先生とともにシルクロードを取材旅したときのこと。中国の敦煌空港で気になるものを見つけ、諸星先生からお金を借りたというではないか。
「僕が基本的に海外へは現金をあまり持たずキャッシュレス派なんです。ところがその店はカードが使えなかった。一方の諸星先生は現金派で、両替しすぎて中国元があまってしまってどうしよう、と仰っていたので、先生にお借りしました(笑)」
買ったのは、中国の人工衛星の模型。
そのとき棚に並んでいた様子が、これだ。
金ピカの人工衛星の前で、3人の宇宙飛行士のフィギュアが手を振っている。
お値段、1980元。
敦煌には酒泉衛生発射センターがあり、中国初の有人ロケット発射を記念して作られたノベルティのよう。誰も買わずに埃をかぶっていたから 「買っていい?」と聞いたら店員の間で笑いが起きたという。
このほこりをかぶって棚の奥で長く眠っていたエイリアンと人工衛星。
写真展「佐藤健寿展 奇界/世界」において、ライトを浴びてケース展示されている。
エイリアンと人工衛星に心があったなら、この身の置き場の華麗な変化に驚いているだろう。
「まぬけ」や「奇妙」は、
自分の理解が及ばない世界かもしれない
最後に、佐藤さんにとって「まぬけもの」とは?
「”ゆるい"、"和む"、"役に立たないけどなにか面白い”みたいなことだけではないと思うんです。僕の写真も時々ですけど、"こういう無駄なものっていいですね"とかって言われたりするんですよ(笑)。でも自分としてはそういうことでもないんです。一見奇妙に見えるものでも、それが生まれる歴史であったり文化背景が必ずあって、ある文脈では全く無駄なものではなかったりする。最初もお話ししましたが、奇妙とか、まぬけとかって定義が難しい。自分の理解がそこまで及んでいなかったり、役に立つことって数値化しづらいからわからないだけかもしれない。無駄かもしれないけど、無駄じゃないかもしれない。そういう定義しないニュアンスが、自分の思うところですかね」
Editor’s note
奇妙な世界から飛び出した今回の「まぬけもの」。
世界の少数民族の失われゆく文化。UFO研究や、宇宙への人類の挑戦。記事にはしていませんが、フラットウッズ・モンスター事件やマッドメンのマスク、西遊記をたどるシルクロードの旅。いくつものエピソードをうかがうことができ、佐藤さんの民俗学的、博物学的造詣の深さに驚かされました。
まぬけと奇妙に通じるもの。
「無駄かもしれないけど、無駄じゃないかもしれない。定義をしない」という言葉が印象的でした。