まぬけもの

vol.06

ものにおける「まぬけ」とは? 
今回お伺いしたのは、
新進気鋭の若き映画監督、金子由里奈さん。
ぬいぐるみとしゃべる人々をテーマにした作品を手がけるなど
ものと人間の関わりを特異な視点で捉える金子さんは、
時に息苦しさのある世界に生きる私たちを、ほっと一息つかせてくれる考え方を話してくれました。

金子 由里奈 かねこ ゆりな

映画監督。立命館大学映像学部に在籍中から数々の映像制作を行う。女性の若手映画監督15人による短編からなるオムニバス映画「21世紀の女の子」(2018年)で公募枠から監督に選出され、「projection」を制作。その後、自主映画「散歩する植物」(2019年)や長編デビュー作「眠る虫」(2020年)を手がける。長編商業デビュー作「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」(2023年)は第25回上海国際映画祭アジア新人部門にも選出される。執筆や音楽活動なども幅広く手がける。

とある京都の大学の「ぬいぐるみサークル」を舞台に、無数のぬいぐるみたちがいる部室で出合った学生たちの人間模様を映し出した映画「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」(以下、「ぬいしゃべ」)。大前粟生の小説が原作となった金子さんの監督作で、登場人物たちが心に抱えた想いや苦しさをぬいぐるみに喋るシーンは、とても切実で印象的。

でも、ぬいぐるみというと、ものによってはまぬけさも感じないわけではない。そういったものに寄り添いながら生きる人間を捉えた金子さんは、ものにおける「まぬけ」をどう考えるのだろうか? 他にも、「イワニホンキ」(@iwanihonki)というアカウント名で、路上の岩の写真をInstagramに投稿するなど、「もの」への思いがありそうな個人活動も発見! その真意を確かめるため、高台にある金子さんのご自宅へとお邪魔することに。

大きな窓から街を見下ろす見晴らしをバックに、鳥のさえずりが終始聞こえる”間”と”抜け”のある気持ちのいい空間。一緒に生活しているものたちを、物語を読み上げるように次々と紹介してくれる金子さんと一緒に、ものにおける「まぬけ」について考えました。

誰かの時間の層が宿っているものは楽

引っ越してからずっと忙しく最近になってようやく時間ができたらしく、
「私からするとものが少ない状態なんですけど……」と心配そうな金子さん。
でも、気になるまぬけものがそこここに!

アレクサのために敷かれた座布団。編み途中で挫折した、永久に未完成のニットバンダナ。
金子さんが活動する音楽ユニット「チェンマイのヤンキー」の相方・正木ゆうひさんが作った、時計らしきもの(作品名は「ひげどけい」)。一緒に暮らしている「メカ好き」だというパートナーが買った、100均のコンテナ模型。
コンテナに対して金子さんは、「まぬけとは対極にある合理性の塊みたいなものなのに、小さいと急にすっとんきょう」と一言。
たしかに、本来あるべきサイズと比べてミニマムになった時、どんなものでも、まぬけと化してしまうのかも……。

「映画の催しやロケハンで様々な地方の街へ行きますが、リサイクルショップや古道具屋が好きで、時間があるときは欠かさず寄っています」と、京都の『非実用店めだか』(※現在閉店)で買った造花のような作りもののつくしなども嬉しそうに見せてくれた。「買い手がなかなか現れなさそうな、なんじゃこれ? というものに出合うと、『大丈夫、うちにおいで』って心の中で勝手に頷いて、救済する気持ちで買わせていただきます(笑)」。

キッチンで目をひいた奇妙なマグカップも、リサイクルショップで100円で購入したものだそう。ただ、「たかちゃん」と名前が刻まれ、素人が手作りしたであろう見た目には「他人のもの感」が漂い、ちょっとした怖さを感じる人もいる気が……。その一方で、金子さん視点はこんな感じ。

「誰かが心を込めて手作りしたり、すでに誰かと過ごしてきたものには”時間の層”が宿っているので、ものとして一人前だと思っていて。そういうものは、置いただけですぐ空間に馴染んでくれて楽なんですよ。逆にいうと、量販店などの新品は、自分で一から関係を築いていかなきゃいけないので少し億劫。これは、私のもの選びの基準の一つですね」。

まぬけものは、相手をジャッジしようとしない

あれもこれも見せていただいたけれど、やっぱり一番気になるのは、映画「ぬいしゃべ」の題材にもなった”ぬい”(ぬいぐるみの略)の存在。先ほどのリサイクルショップの話と同じで、”時間の層”が宿っている子たちがこちら。

各々がそれぞれ個性抜群なのですが、たとえば右側のベロを出した大きい子は「ゲボを口の中に収納もできる”ゲボロちゃん”。『ぬいしゃべ』のぬいぐるみ制作にも携わってくれた、能登美那さんがつくってくれました」。その頭に乗ってる、手のひらサイズの顔だけの子は「作家のマツオカサトコさんのぬい。撮影中にお守りのように持っておいて、ぐっと握ったり触ったりすると気持ちが落ち着くんです」。左側にある犬のぬいは、「古着屋さんの片隅で売られていた、“ルマンド”。頭でっかちで可愛いです」。その手前にある緑の芋虫みたいな子は“財前五郎さん”だそう。昔から身近にいるぬいも、最近のぬいも、それぞれに名前と由来があります。

この青い子は、『金子を思い出したから』という理由だけで友人がぽんっと渡してくれたんです」とのこと。

自作のぬいも、楽しげにお披露目してくれた。「この青い蝶は”チリチッチ”。紐をつけているので、肩にかけて一緒に散歩にも行けます」

味わい深い佇まいのこの子は、映画「ぬいしゃべ」にも出演した“カマッパ”というぬい。
それぞれのぬいを愛でている金子さんも、映画の登場人物たちのようにぬいに喋りかけることはあるのでしょうか? と聞くと、意外にも「あまりないかも。植物にはあるけれど……」と。でも、ぬいに「見られているな」と感じることはあるという。

「画家だった祖母が手作りしてくれた茶色のクマはまさにそう。ほら、今も見てません? ソファで寝っ転がってたりすると、『締め切り大丈夫?』って言われてる気がしてならない(笑)。」

「全てではないけれど、本もそうで、自分自身の生き方や行動を問われてジャッジされる緊張感があるんです」。
そう話していると、「その逆に、ジャッジしてこないと感じるものが”まぬけ”なのかも!」と金子さん。

「目は合うけれど、”己”が強すぎて他人のことなどまるで知らんぷり。
だからこそ、どんな自分であってもそっとしておいてくれている感じがあって、安心できるんです」。

誰でも落ち込んで家に帰るような日はある。
そんな時「まぬけもの」が家にいたら、何も責めずに優しく放っておいてくれる、かもしれない。
「ふうん、別に大丈夫じゃない?」と。

ものとの関わりが、言語優位な世界から解放してくれる

ところで、こんなに紹介できるものが揃っているのに、「まだまだ増やしたい」とおっしゃる金子さんは、いつからものが好きなのだろう?

「家族にものが好きな人が多いからか、自分も自然と好きになったのかな。輪島塗を販売していた祖父の家は、本当にものだらけでした。『夫婦円満のお守り』だという狸の置き物や、木彫りの熊、ニッコリ笑っている小さな馬の置き物などは、祖父が亡くなった後に引き継がせてもらったもの。実家もそんな感じなんですが、壁も見えないくらいもので溢れた家に住んでみたいですね」。

つまり、ものが最小限しかない場所より、ものだらけの方が金子さんにとって居心地がいいのか?

と伺うと、「もちろん」と即答。「過去の自分のことを“妹”だと思っているのですが、“妹”が過ごしてきた時間や“妹”を支えてくれた人を、ものから思い出すことができるんです。感覚的な話ですが、自分の分身のように感じるので、ものは多い方が落ち着きますね。それに、言語優位な世界に切迫したときなどは、ものとの関わりを持つことで思考が言語にとどまらずにいられて、悩みや重圧から解放される気がします」。

ものを分身と捉えているのに、いや、捉えているからこそ、急に大量に捨ててしまう時があるというのもまた、金子さんならではのものへの接し方。

「今の自分をすべてスッキリさせたいという自暴自棄な衝動に駆られた時に、“妹”たちが持っている時間を切り離したくなって捨ててしまうんです。でも、時間が経って『なんであれ捨てちゃったの』って未来の自分に責められるので(笑)、最近は一度踏みとどまって考えるようにしてます」。

“妹”とは対照的に、未来の自分のことは“姉”と思っていて、“姉”がどんなものを買うのかも楽しみなんだそう。過去や未来の自分自身との対話の時間。それはどこか妙だけれど、新鮮であたたかい時間のようにも聞こえる。

まぬけもの=無意味で無価値なもの

さて、そろそろインタビューも終盤へ。金子さんの“妹”たちとお別れする前に、気になっていた「イワニホンキ」という謎活動についても聞いてみなければ。

「たとえば、マンションの階段の下の変なスペースなどに巨大な岩があったり、岩の集合体が公共スペースなどに作られていたりするのを見つけては写真を撮っています。重たいものをわざわざ運ぶっていう無意味な行動にホンキだった人がいたことを想像すると、人間のおかしみを感じるんです」。

金子さんのお部屋にも、岩ではないけれど、石があちこちにある。「石は、優劣や比較の世界を知らなそうで羨ましい……」と切実に話す金子さんは、「石みたいに、なんの意味も価値も物語も持たないこと=まぬけ、なんじゃないでしょうか」と続ける。

「”頑張って困難を乗り越えて成長すること”を人生にやたらと求められる世の中で、生きづらさを感じる瞬間もあると思うんです。もちろん困難に向き合わなければいけない時期もありますが、そういう物語仕立ての呪縛から解かれてあるがまま過ごす時間もあっていいですよね」。

Editor’s note

「まぬけ」だったり、「無意味」「無価値」などの言葉は、ネガティブな意味に捉えてしまいがち。でも、世の中全体をじっくりと見渡したうえで「あってくれなきゃ困る!」と社会的なアンサーを導き出してくださった金子さんの視野の広さには、圧倒されました。複雑で繊細なお話を聞けば聞くほどに、無意味で無価値なまぬけものを欲しい気持ちがどんどん強くなっていく取材でした。

間貫けのハコ

間があって、貫けがある。間貫けのハコへ、おかえりなさい。