vol.12

動物作家・昆虫研究家
篠原かをりさん

「まぬけ」という価値観に、今を生きるヒントがあるのでは?
今回12回目の連載でお話を聞くのは、動物作家・昆虫研究家の篠原かをりさん。動物と昆虫をこよなく愛し研究を続ける一方で、その類まれな観察眼と感性で書かれるエッセイにも定評があります。自身の研究を「まぬけ」かもしれないと語る篠原さん。仕事、研究、子育てと、忙しい日々をラクに楽しむ秘訣も「まぬけ」にあるそうです。

篠原かをり(しのはら・ かをり)

動物作家、昆虫研究家(専門:昆虫産業)、慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本大学大学院芸術学研究科博士後期課程 在籍中。幼少の頃より生き物をこよなく愛し、自宅でネズミ、タランチュラ、フクロモモンガ、イモリ、ドジョウなど様々な生き物の飼育経験がある。昆虫や動物、クイズをテーマにした著書も多数。TBS「世界ふしぎ発見!」のミステリーハンター、NTV「嗚呼!!みんなの動物園」動物調査員など、テレビやラジオでも活動している。

ネズミは笑い、 ハチは遊ぶ?

今日はご自宅にお邪魔していますが、お正月も過ぎたのに堂々と飾られているクリスマスツリーが気になります。

篠原センパイ
そうですよね(笑)。今、赤ちゃんがいるんですけど。

昨年ご出産されたと聞きました。

篠原センパイ
その赤ちゃんが、もみの木を触る仕草がすごく好きで、なかなか片付けられないんです。それならお正月っぽくすればいいんだってことで……。

それで水引がたくさんついてるんですか!

篠原センパイ
そうなんです。そしたら、もともとつけてたエビのオーナメントもいい感じに馴染んで(笑)。もうすぐ2月ですけど、いっそ観葉植物みたいな感じでいいかなと、開き直ってます。

このリビングの真ん中には赤ちゃん用のスペースがあって、そのとなりにゲージがあります。子どもと動物が隣り合うのも、いいですね。

篠原センパイ
赤ちゃんも大きくなってきたので、新しくドブネズミを二匹飼いました。グレーの方が「ねむねむ」で、白い方が「すやすや」です。

ドブネズミってこんなにきれいなんですね。名前から想像するよりずっとかわいらしい。

篠原センパイ
都市だと下水の近くに生息するせいで、そういう名前がつけられてますが、本当はめっちゃ美しいんですよ。あと、ネズミって笑うんです。

えぇ!?どんな笑い声なんですか?

篠原センパイ
「笑う」という表現は、あくまで人間側の解釈なんですけどね。2016年に、ネズミも撫でられると笑い声をあげるという論文が出たんです。人間の可聴域を超えているので音は聞こえないけれど、快楽的な感情を表現しているのは確かで、周波数を見ると喜んでいるときに声をあげているのがわかる。実際、私も実験で当時飼っていたネズミで笑い声の採取をしたら、爆笑してたんですよ。

飼い主に撫でられて笑うなんて、たまらなくかわいいですね……。

篠原センパイ
しかも実験用のネズミは撫でても笑わなかったんです。それは信頼関係が築けてないから。うちのネズミは飼い主の私を認識して笑ってたんですよね。

それはグッときますね。

篠原センパイ
その実験をしてはじめて、私が一方的にネズミを好きなんじゃなくて、私もネズミに好かれてるんだって知りました。昔、ゲージから脱走したネズミが、眠っている私の胸元に飛び乗ってきたことがあって。せっかく自由を手に入れたのに、飼い主の胸に乗るなんて……と思うと、愛おしくて仕方ない。
ちなみに今は、昆虫にも“心”があるかもしれない、という研究もあります。

虫の心、ですか。

篠原センパイ
何をもって「心」とするのかも難しいのですが、その研究では「遊ぶ」という行為が、喜びの感情の現れだと捉えています。たとえば、セイヨウミツバチはボールを転がして遊ぶそうなんです。いままで虫は、生きるための最低限の機能だけを積んで生まれ、子孫を残して死んでいくと思われてきた。でもただ生きるだけでなく遊びもするらしいんです。

「一寸の虫にも五分の魂」は本当なんですね。そう考えると、なおさら虫を守らなきゃという気持ちにもなりますね。

篠原センパイ
虫の心に関する研究は、すごく遅れてきました。実際、虫の脳みそはすごく小さくて細胞の数も少ない。だから虫の脳には余白がないと考えられていた。

つまり“間”が無いと。

篠原センパイ
そうなんです。でも、そんな虫も余白を持っていて、まぬけに遊んでいる可能性がある。ネズミが笑うことがわかったのも今世紀のことなので、「虫も当然笑うでしょ」っていう時代がこれからくるかもしれません。

たどり着いた 〝まぬけ〟な研究

篠原さんは現在、日本大学大学院の芸術学研究科で博士後期課程にいますよね。「昆虫と芸術」という組み合わせが不思議でした。

篠原センパイ
以前は昆虫食がテーマだったんですが、今は一言でいうと「人間が虫に抱くイメージ」を研究しています。現在、世界中で自然が失われて都市化が進み、昆虫の多くが絶滅に向かっている。そのうえ都市に住む人は昆虫に「怖い」とか「汚い」といったイメージを持っています。

人は実害のない昆虫のことも、なんとなく嫌ってしまいますね。

篠原センパイ
地球の生きもののうち、昆虫が占める割合は70%から80%にもなるそうです。地球の生態系システムに、虫は絶対に欠かせない存在。なので私は、人間が昆虫を嫌うメカニズムを研究することで、人と虫が共生できる可能性を探るような研究をしています……というのは論文や計画書に書くことで。本当はただただ虫が好きで研究を続けてるといいますか、今の説明は言い訳めいたところも若干あるんですよね(苦笑)。

でも「好き」という気持ちは何よりも研究のモチベーションになりますよね。

篠原センパイ
「人の虫に対するイメージ」というテーマは、虫を通して人を知ることでもある。それは自分の目指すところにも合ってると思います。私は虫好きですが、それ以上に人にもずっと興味があって。だから私は自分という人間を知るためにもエッセイも書いてきたし、人見知りだけど、人とも関わるようにしている。
結局、人間のことが一番不思議だし、興味深いんですよね。人と虫に興味があって、両方同時に研究できるテーマはなんだろうと考えたら、ここに行き着いたんです。すぐに何か役に立つ結果が得られたり、人類の進歩に貢献するような研究ではないので、こんな悠長な研究は、かなり「まぬけ」な人じゃないと難しいかもしれません(笑)。

篠原さんは研究をしながら、作家としても本を書き続け、メディア出演もされています。そのバイタリティの源はなんでしょう。

篠原センパイ
バイタリティというよりも、思い立ったらすぐ行動してしまうだけなのかもしれません。それは、両親の影響も大きいかと。私が実家を出たら、父親は急にドリアン果樹園を始めるし、母は50歳過ぎてから大学院に通い始めたんですよ。

エネルギッシュなご両親ですね。「活動はひとつに絞りなさい」と小言を言われることもなかったですか?

篠原センパイ
そうですね。逆に、たしなめてくれる人がいないから自分でストップをかけてしまうことはあります。少し前までは、研究でも悩んでたんです。本を書いて、テレビに出て、子どもまで育てはじめて、研究に全力を注ぎ込めないのが歯がゆくて……。中途半端な自分が博士課程にいるのは、全力で研究している人に対して失礼なんじゃないかと思い、自分で自分を追い詰めていました。

それは苦しそうです。

篠原センパイ
でも最近、全部全力でやらなくてもいいって割り切りました。

きっかけがあったんですか?

篠原センパイ
2025年で、本を出しはじめて10周年になるんですよね。作家になった頃は、10年後はものすごい売れっ子になっているか、消えてるかのどっちかだと思っていたけれど、今の自分は売れもせず、消えてもいない。こんなふうに10年間ものうのうと続けられるものなんだ!って単純に驚いてしまって(笑)。だからきっと、研究も今に全力を注ぐんじゃなくて、長い時間をかけてやっていけばいいんじゃないかなって。

焦る必要はなくて、自分のペースでやればいい。

篠原センパイ
そうですね。毎日全力で研究ができる人が5年かかるんなら、その何倍も時間をかければいい。だから、めちゃくちゃ健康に長生きをしようっていう方向に今はシフトしました。
前に向かって進んでいく時間軸で考えると、いくら時間があっても足りないように思えるんです。でも、逆算して考えると、まだまだ時間はあるって余裕が出てくる。ありきたりな言葉ですけど、何かを始めるのに遅すぎることもないですし。私の学部には、70歳の方もいらっしゃるんですよ。人にはそれぞれのタイミングがあるんですよね。

クイズプレイヤーにも 〝まぬけな穴〟がある

2022年、篠原さんはQuizKnockの河村拓哉さんとご結婚されました。馴れ初めはクイズだったそうですが、夫婦の会話にもクイズってよく出てくるんですか。

篠原センパイ
けっこうどうでもいい雑学を、気軽に投げあうくらいです(笑)。でも面白いのが、お互いにけっこう大きな“穴”があるところで。

穴ですか。

篠原センパイ
意外に初歩的なことを知らなかったりするんですよね。たとえば、夫がたまに花を買ってきてくれるんですけど、それが菊の花であることもあるんですよ。

仏壇やお墓に飾る代表的な仏花のひとつですね。

篠原センパイ
夫は仏花という概念に馴染みがなかったみたいなんです(笑)。でも私は特に指摘しなくて。もみの木をお正月にも飾っていいと思うのと同じように、菊も普通に綺麗な花なんだからイメージに縛られずに飾ればいいかと。

イメージの研究をされている篠原さんらしい判断ですね(笑)。

篠原センパイ
結局、夫は他の人に指摘されて「教えてよ〜」って少し落ち込んでましたけど(笑)。でも、トップレベルのクイズプレイヤーが、思いがけないところで学び落としをしているのが、私はすごくチャーミングだなって思うんですよね。
実際、クイズ大会でもめちゃくちゃ強い人が初歩的な問題を落とすことは珍しくありません。私自身、生物のジャンルは得意ですけど、地理が苦手だったりします。「中国の首都は?」という問題で、「上海だっけ?北京だっけ?」と悩むほどで(苦笑)。

クイズプレイヤーというと、とてつもなく抜け目のない方を思い浮かべますが、そういうところもあるんですね。

篠原センパイ
知らないことは、本当に何も知らないんです。興味がないと一切身につかないんですよね。でも研究ってひとつのテーマを追っていても、いくつもの分野の知識が必要になってくるんですよ。義務教育の知識をちゃんと身につけてるだけでも全然効率が違う。小学生に戻って勉強し直したいです……。

篠原さんでもそう思うんですね。

篠原センパイ
めちゃくちゃ思います!だから自分が死んだ後、「みんなは知ってるけど、私だけが知らなかった辞典」を読ませてほしいんです。最後に答え合わせして「うわー。それ知らなかった!」って気づきたい(笑)。

仕事はファンシー、 人生はプリン

篠原さんは、生きものの研究や文章を書くことなど、好きなことをずっと続けられています。でも一方で、好きなことを仕事にして苦労はないですか。

篠原センパイ
ありますね。不思議なのが「仕事」だと思った途端に、好きなことでも「はぁ……」って気持ちになることがあるんです。多分それは「労働」という概念の一般的なイメージのせいだと思ってて。

ここでもイメージが悪さをしている。

篠原センパイ
だから「労働」も楽しいイメージに変えちゃえばいい気がしていて。たとえば、ドブネズミってペット販売されるときは「ファンシーラット」という名前で売られている。だったら労働も「ファンシーおしごと」と言いかえれば、マシになる、という感じで。

パステルカラーな柔らかい印象になります(笑)。

篠原センパイ
仕事とか労働を思い浮かべると、「大変だ」とか「今日も仕事だ」みたいなフレーズがセットで降ってきちゃう。そのせいで必要以上に大変だと思いこんでいる節がある。でも私の場合、仕事って一口に言っても、ひとつひとつの作業は「本を読む」とか「文章を書く」とか好きなことしかやってないんです。だから最近は「仕事大変だな」って感じることが増えたら、少し立ち止まって「仕事=イヤ」っていう考え方を意識的に除去するようにしています。

認識を少し変えるだけでも、ずいぶんとラクになりそうな気がしてきました。最後に、“まぬけのセンパイ”として後輩たちにメッセージをいただけませんか。

篠原センパイ
研究について話したところとちょっと被るんですが、短いスパンでバランスよくやることを諦められれば、ラクになると思います。1日、1ヶ月、1年というわかりやすい時間単位で仕事や生活のバランスを取ろうとすると、いずれ限界が来る。だからできるだけ余裕と間を持って、がんばりすぎず、持続可能に日々を生きていきたいなと私自身思っていて。

根を詰めずにまぬけになることが、生きやすさに繫がる。

篠原センパイ
人生ってプリンみたいだなぁって思うんです。カラメルのほろ苦い部分と、カスタードの甘い部分にわかれてて、どこを切り取っても、その割合が完璧に調和することはない。だけど食べ終わったときに「あぁ、美味しかった」って思えればいいんですよね。ほとんどの生きものと違って、人には長い老後があります。“今この瞬間”みたいなごく短いスパンで見ると焦るけれど、まだまだこの先長いぞって考えれば、今も上出来だって思えるはずです。

すごくわかりやすい喩えです。ちなみにプリン、お好きなんですか?

篠原センパイ 
……あんまり食べないです(苦笑)。でも普段食べないからこそ、たまに食べると「プリンって苦いところと甘いところがあるな」ってレベルまで抽象化できて、喩えに使えるんですよね。普段慣れ親しんでないものほど、客観的に見られて、そのものの本質に迫れるところはあるのかもしれません。

間貫けのハコ

間があって、貫けがある。間貫けのハコへ、おかえりなさい。

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