Vol.28

主観の家

子供も生まれ、そろそろ同居を卒業して、家をと考えています。妻も私もなんとなくBESSの家に惹かれているのですが、両親が「あんなヘンテコな家・・・」と、いい顔をしてくれません。どうしたらいいでしょうか。

BIGFOOTBOY

 「新聞紙」「竹やぶ焼けた」「今朝食べたサケ」―昔から色んな逆さま言葉があるけれど、強烈さで言えば、これに勝るものはないんじゃないかな、「談志が死んだ」。落語界の“異端児” “天才”と言われた立川談志が逝って、今年ではや3年。空白の大きさを埋めようとするかのように、イベントや出版が後を絶たない。「落語とは人間の(ごう)の肯定」という独自の論とともに、人間の欲望、弱さ、愚かさ、可愛さ、悲しみなどを数々の根多(ねた)で表現した。十ハ番とされる演目は色々あるけど、そのブッ飛び度合いで、おいらのお気に入りは「主観長屋」。思い込みの激しい八五郎と、優柔不断の熊五郎。行き倒れの死体を見た八、「あ!熊の野郎だ!」と早合点。役人に「当人を連れてくるから」と、長屋へすっ飛んで帰り、寝ていた熊を起こして「お前死んでたよ」「俺が?死んだ心持ちしねえんだけど」「俺がこの目で見てきたんだ。ゆうべ何してた?」「しこたま飲んでべロべロになって、どうやって帰ったか覚えてねえ」「それが何よりの証拠。悪酔いして死んだんだよ。お前、顔色良くないよ。気持ち悪いだろ?」「そう言われりゃあ、良くないな」「良くないじゃなくて、悪いだろ?」「・・・悪い」「死んでるから悪いんだよ。お前の死骸引き取りに行くぞ」。死骸に対面して確信が持てない熊に「往生際が悪いな。お前のことを誰よりも知ってる俺が言ってんだからお前だろ」畳み掛ける八に、「そうかあ、俺かぁ・・・」。長屋へ運ぶことになり、死骸を抱いた熊、「抱かれているのは俺だけど、じゃ抱いてる俺はいったい誰?」・・・このネタ、元々は古典落語の「粗忽(そこつ)長屋」。単なる粗忽者の八を、「主観」がとんでもなく強いヤツとして解釈し直し、新たな意味づけで“哲学”(?)にまで昇華させた。すべては「主観」の問題。強烈な主観は、まわりの世界まで変えてしまう。突き詰めてしまえば、生と死も主観次第。「我思う、ゆえに我あり」のデカルトもまっ青のラジカルさ!八の「主観」も凄いけど、長く親しまれてきた古典落語を、意味づけだけじゃなく勝手にタイトルまで変えてしまう談志の「主観」の凄さ。まさにコペルニクス的転回!おいら、尊敬しちゃうね。主観の強い八と主観の強い談志が渾然一体となって、圧倒的世界が展開される。
 BESSの家も「こんな暮らしどう?」っていう主観から生まれた、いわば主観の家。「こんな暮らししたい」つていうお客さんの主観と呼応し合って、楽しく新しい世界が広がる。家族の意見もイロイロあるかもしれないけど、あくまでも住む人の主観で決めてほしいね。

主観で決めて、主観で楽しむ。よっ、いきだねえ・・・お後がよろしいようで。 デンデン。

「吐露byBESS」
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